何処まで教えるべきか

 何か新しいクラスを始めるときは、誰かに言われないでもノート(あるいはルーズリーフとファイル)と鉛筆消しゴムを用意していく。日本で教育を受けた人間としては、当たり前のことだと思う。しかし、アメリカの公立短大に通ってみて、こちらでは当たり前のことではないんだなあということに気が付いた。

 ロシア語の個人レッスンの最初の日に先生から、「ノートを用意してくるように」と言われたのだが、先生もそんなアメリカ人の生徒に何人か当たったのかもしれない。あたしは当たり前のことじゃーん、と思っただけだが。で、先生から、ここはメモしなさいと、たとえ教科書に書いてあることでも、細かく指示をされることがある。おそらくとても重要な部分なのだろう。

 で、あたしが日本語を教えている生徒の1人がやはりノートを持ってこない。あたしに質問は沢山してくるが、質問の答えをメモすることもない。金を払っていないから、そこまでやらなくていいと思っているのなら腹が立つが、彼の場合、きっと金を払っていても同じ態度なんじゃないかな。

 あたしはノートだけでなく、教科書の余白にも沢山メモを取る人なので(書いておかないと忘れるから)、メモを取らない生徒を見ると、すごいな全部覚えられるのかー、じゃ同じことをまた訊かないでね、という感想しか持てない。おっと、あたしの伝えている内容がメモに値しないということもあり得るか・・・(汗)。

 もし、あたしがお金を取って教えていたら、ロシア語の先生みたいに「ノートを持って来なさい」と生徒に半ば強制し、重要な部分についてはノートをとりなさいと細かく伝えるだろうが、ボランティアで教えているだけの立場で、そこまで生徒に要求していいものかどうか。難しいなあ。